先駆け物語

学校法人東海大学は、創立以来、「調和のとれた文明社会を建設する」ために、教育、研究、国際交流など、さまざまな分野において他に先駆けた事業を行っています。
こちらのページでは、その「先駆け物語」をご紹介いたします。

体験しながら学べる博物館、回遊型大水槽の先駆け

本学園は1962年、わが国初の海洋学部を開設すると、海洋の教育・研究とその成果を広く社会に還元し海洋の知識の普及と啓発を図るため、海洋に関する博物館の設置を計画。1970年、静岡県清水市三保(現・静岡市清水区三保)に海洋科学博物館を開設しました。

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生活科学の視点で戦後の国民生活の復興を目指す

1968年開設の教養学部は、戦後、新制大学がスタートして以降、初めて教養学部として認可された学部です。しかし1967年当時、創立者松前重義は、人文・社会・自然科学を横断する総合的な領域の探究を目指す生活学部の開設を構想していました。これに対し、当時の文部省は、生活学部の内容が従来の枠組みにないため、教養学部の設置基準に最も近いという理由で、教養学部としての認可になったのです。

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総合大学の理想像をめざして医学部開設

東海大学は、1960年代に自然科学、人文科学、社会科学にわたる8つの学部を擁し、総合大学への道を邁進していました。そうした中で創立者・松前重義は、かねてより医学部の開設を宿願としていました。人間存在の根源に関わる医学は高度な科学の成果と人間への愛を融合することで成果を得られる領域であり、あらゆる英知を結集できる総合大学においてこそ真価を発揮できると考えていたからです。

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原子力の平和利用をめざして技術者養成

1956年、東海大学は工学部応用理学科に原子力に関する技術者養成を目的とした原子力工学専攻(現・原子力工学科)を開設しました。これは、国立大学の原子力関係の講座設置にさきがけたもので、わが国の大学における最初の原子力専門課程となりました。

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総合大学の英知を結集し人類の課題に挑戦

逓信省(現・総務省)の技官だった創立者・松前重義は、明瞭な音声で長距離通話を可能にし、世界中を結ぶことができる新しい通信方式(無装荷ケーブル通信方式)の研究開発のチームリーダーでした。海外の技術輸入に頼らず、すべて国産技術によって完成させることを目指し、民間の活力と大学の研究成果を生かした産官学協同のプロジェクト研究を推進、1937年に新しい通信システムの開発に成功したのです。

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