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日ロ友好親善の道を開く
2017年5月20日掲載
時代と政治の壁を越えて続くロシアとの交流
アメリカとソ連(当時/現・ロシア)が対立する東西冷戦の時代にあって、学園の創立者・松前重義は、国際平和実現のためには日本とソ連との友好親善が不可欠として独自の民間外交を展開してきました。1973年、東海大学はモスクワ大学と学術文化交流協定を締結し、ソ連・東欧圏との交流を本格的に開始しました。これは、日ロ大学間交流のさきがけとなるもので、今日まで継続しています。留学生、研究者の交換をはじめ、水産増殖やエネルギーなどに関する各種シンポジウムの開催、さらに、松前はスポーツを通じて国際友好の道を開こうと野球のオリンピック正式種目化を提唱、1989年、この呼びかけに東海大学校友会などが協力しモスクワ大学に「モスクワ大学松前記念スタジアム」を開設しました。これは野球の国際化を促進するものとなりました。
一方、極東地域の安定と平和推進のため、1989年にロシア極東の軍港ウラジオストクに西側の船舶として戦後初めて東海大学の海洋調査実習船「望星丸二世」が入港。学園の友好親善団がウラジオストク市を訪問しました。東海大学と極東大学(当時/現・極東連邦総合大学)が研究者の交流などに関する覚書に調印、新たな友好親善の道が開かれました。本学園とロシアとの交流は、ソ連からロシアへという体制の変化を乗り越えて、今日も変わることなく続けられています。