現代民主主義理論における「熟議」と「投票」の相互作用への新挑戦 ~熟議に対する非負反応性の公理が示すパラドックス~

2023年05月31日

発表のポイント
 現代の民主主義の核心をなす「話し合い(熟議)」と「投票」の関係を明らかにする新研究。先に「話し合い(熟議)」を行い、次に「投票」を行うという二段階のプロセスを想定し、両者の間の規範的な関連性を解明。
 話し合いで他人を説得した人が投票で損をしない、という新たな原則「NNRD」を提案。
 全員の意見が尊重され、平等に扱われつつ、提案した新原則も守る「投票」の方法が存在しないことを理論的に証明。民主主義のルール作りに新たな洞察を提供。

早稲田大学政治経済学術院の安達剛准教授、チョン・フン 准教授および東海大学政治経済学部経済学科の栗原(くりはら) 崇(たかし)講師は、社会選択理論の枠組みで「NNRD(民主的熟議に対する非負反応性)」という新たな公理を提案し、全会一致と政治的平等という熟議型民主主義の基本的な価値観を尊重し、さらにNNRDも満たすような集約投票ルールが存在しないことを示す『不可能性定理』を証明しました。

本研究成果は、『American Journal of Political Science』にて[論文名:(The Impossibility of) Deliberation-Consistent Social Choice]として、2023年5月8日(月曜日)にオンラインで掲載されました。

(1)これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)
「社会選択理論」、それは個々の選好から社会的な結果をどのように決定するかを研究する政治経済学の一分野です。この理論では、多数決などの様々な投票ルールがどのように機能し、どのような結果をもたらすかを明らかにします。この理論には、多くの「不可能性定理」(*1)が存在します。これらの定理は、一連の公正な原則を全て満たす投票ルールや決定手続きが存在しないことを示しています。この結果に基づいて、多くの学者たちは、特定の投票ルールに従った結果だけでは、その結果の正当性が確保されているとは必ずしも言えないと考えるようになりました。この認識から、 民主主義理論家たちは、民主的な熟議(*2)のプロセスによって民主主義の正統性と正当性を確立しようとしました。これを「熟議的転回」と呼びます。そして、「結果が民主的に正当であると言えるのは、平等な者たちの間で自由で理性的な合意が形成できた場合に限られる」という考え方が提案されました(Joshua Cohen, “Deliberation and Democratic Legitimacy”)。

(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと
民主主義の理論家たちの間で、「熟議」と「集約(あるいは投票)」がそれぞれ固有の価値を持ち、互いに関連しつつも一方が他方に還元できない役割を担っているという意見が広がってきています。この考え方を端的にまとめたのが政治哲学者ロバート・グッディンで、彼は「先に話し合い、その後に投票する」というシンプルなフレーズとして提案しています。そこで、私たちは、まず参加者が理性的な民主的熟議を行い、次にその結果について投票する、という二段階の民主的プロセスを想定しました。この論文では、この熟議と投票という二つのステージ間の適切な規範関係を調査しています。

(3) そのために新しく開発した手法、それによって明らかになったこと 
この問いに対する解答として、「NNRD(民主的熟議に対する非負反応性)」という新たな公理(原則)を提案しました。この公理は、話し合いで自分の意見を他人に納得させた場合、その人が投票で損をしないことを要請するものです(図1参照)。すなわち、説得に成功した人が、その結果として投票で不利な状況になるような投票ルールは避けるべきだという考え方を示しています。 私たちは、論理的に厳密な社会選択理論の分析において、全会一致と政治的平等という熟議型民主主義の基本的な価値観を尊重し、さらにNNRDも満たすような集約投票ルールが存在しないことを明らかにしました。私たちはいくつかの回避策を提案しましたが、それらは基本的な価値観のいずれかを犠牲にする必要があります。例えば、結果を予め決定するか、または1人に強大な拒否権を付与することですが、これらはそれぞれ効率性や公平性を損なう可能性があります。

(4)研究の波及効果や社会的影響
 私たちの研究は、民主的熟議と集約投票という二つの段階を含む民主的手続きの設計が困難であることを示しました。具体的には、全会一致と政治的平等を尊重しつつ、第一段階で成功した熟議を第二段階の投票において適切に反映するという手続きは困難であるということです。これは、民主的熟議を導入している場合でも、私たちの民主主義的プロセスの信頼性について疑念を持つ必要があることを示唆しています。

(5)今後の課題
 次の課題は、NNRDを尊重しつつ、熟議型民主主義の他の中心的な規範的価値も維持する新たな『回避策』を見つけ出すことです。

(6)研究者のコメント
私たち皆が期待することは、民主主義的な制度が良い政治的な結果を生み出し、社会に利益と改善をもたらすことです。他方、社会選択理論の多くの不可能性定理が示してきたように、単に集約投票手続きに依存するだけでは、不安定で恣意的な政治的結果が発生する可能性があります。そこで、これらの欠点を克服するために、民主的なプロセスに熟議を導入することが提案されてきました。しかし、熟議が成功したとしても、その成果が投票の段階で適切に反映されなければ、熟議の導入は無意味になってしまいます。本研究が、「熟議と投票による二段階の民主主義的な意思決定プロセスが抱える制約を認識し、全ての人々の利益のために改善する方法を探求する」という方向へ議論が広がる一助となることを期待しています。

(7)用語解説
※1 不可能性定理
社会選択理論において、ある一連の理想的な条件(公理、つまり投票や決定手続きが満たすべき基本的な原則)をすべて満たすような投票や決定手続きが存在しないことを示す定理のこと。最も有名なものは、ケネス・アローによって提唱された「アローの不可能性定理」であり、これは個々の選好から公平に社会全体の選好を導くことが、特定の合理的な条件下では不可能であることを示した。
※2 民主的な熟議
ある議題について開かれた公開の議論や討論を指す。民主的な熟議は、個々の市民が自分の意見を表明し、他の市民の意見を聞く場を提供する。これにより、参加者は理性的な議論を交わすことで、新しい視点を得たり、自身の見解を改訂したりすることが期待される。

(8)論文情報
雑誌名:American Journal of Political Science
論文名:(The Impossibility of) Deliberation-Consistent Social Choice
執筆者名(所属機関名):安達 剛(早稲田大学)、チョン・フン(早稲田大学)、栗原 崇(東海大学)
掲載日時(現地時間):2023年5月8日(月曜日)
掲載日時(日本時間):2023年5月8日(月曜日)
(オンライン掲載)
掲載URL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/ajps.12792
DOI: https://doi.org/10.1111/ajps.12792

(9)研究助成
なし


【研究内容に関するお問い合わせ先】
早稲田大学 政治経済学術院 准教授 安達 剛
E-mail: ts.adachi@waseda.jp
東海大学 政治経済学部 経済学科 講師 栗原 崇 
E-mail: t.kurihara.91@tsc.u-tokai.ac.jp
TEL: 0463-63-4952


【本報道に関するお問い合わせ先】
早稲田大学 広報室広報課(担当:堀杉)
Tel: 03-3202-5454 E-mail: koho@list.waseda.jp
東海大学 学長室広報(担当:喜友名)
Tel: 0463-63-4670 E-mail: pr@tsc.u-tokai.ac.jp

図 1:熟議なしでの投票では公園が選ばれるが、公園支持者が熟議で他人を説得した結果、逆に道路が選ばれる例。新原則「NNRD」は、こうした説得の成功者が投票の結果で損をするという状況を防ぐことを目指す。

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